毒の歴史
毒の歴史の記事一覧
毒殺の世界史|古代から現代まで暗殺に使われた毒
毒殺の世界史|古代から現代まで暗殺に使われた毒
毒殺の世界史|古代から現代まで暗殺に使われた毒
国立科学博物館の特別展毒と法医学史の史料を照合すると、展示と学術文献が一致する点と、伝承が膨らんで実像が掴みにくくなる点が共存することがわかる。本稿は古代(ソクラテスの毒杯)から近代(1836年のマーシュ試験)、現代(リトビネンコ事件とポロニウム210)までを横断的に概説し、
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ソクラテスの毒杯|ドクニンジンの作用と処刑の真相
プラトンのソクラテスの弁明クリトンパイドンを注釈付きで通読し、死の場面へつながる接続の運びを研究ノートで追っていくと、あの最期は「自ら死を選んだ哲学者」の美談だけでは収まりません。
ボルジア家とカンタレラ|砒素伝説を検証
ボルジア家とカンタレラをめぐる話は、ルネサンス宮廷の陰謀劇としてあまりに有名ですが、史料を開くと出てくるのは意外なほど大きな空白です。カンタレラは史料上、成分不明の毒としてしか捉えにくく、砒素系、とくに三酸化二砒素(As₂O₃)を思わせる点はあるものの、そこに確証の印を押せる段階ではありません。
アクア・トファーナ|史実と伝説を読み解く
アクア・トファーナは、17世紀イタリアに実在したとみられるヒ素系毒の通称ですが、史実そのものよりも「伝説として知られている顔」のほうが先に広まってしまった題材です。
砒素と「相続人の粉」|法医学が毒を変えた
相続人の粉と呼ばれた砒素は、主として白い粉末の三酸化二砒素(As₂O₃)を指します。無味無臭で、食べ物や飲み物に紛れ込み、しかも長く見抜かれにくかったことが、この不穏な異名を支えました。 私がこの話を書くときは、まず17〜19世紀の裁判版画や新聞挿絵を思い浮かべます。
古代ローマの毒殺|皇帝たちの史実と疑惑
皇帝の食卓に出された一皿のキノコは、本当に帝国の継承を動かしたのか。この記事では、クラウディウスの急死をめぐる毒殺説を軸に、タキトゥスの年代記該当箇所とスエトニウス、カッシウス・ディオの叙述を切り分け、いま比較表に落とし込みながら読んでいる論点を「確定」「有力」「疑惑」に整理していきます。
クレオパトラの死因|毒蛇伝説を史料と科学で検証
クレオパトラは本当に毒蛇に噛まれて死んだのか。この問いを追って、私は主要古代史料の成立年と事件からの時間距離を年表に並べ、どの段階で物語が象徴を帯び、どこで伝承が補強されたのかを見比べてみました。
解毒剤の歴史|テリアカからナロキソンへ
毒を打ち消す薬という発想は、宮廷で毒殺を恐れたポントス王ミトリダテス6世の多成分処方から、救急外来でナロキソンを静注し、呼吸が戻っても再沈静に備えて時計を見る現代の拮抗薬まで、一本の科学史としてつながっています。
ミトリダテス6世|毒免疫伝説の史実と遺産
AppianCassius DioPlinyの原典(AppianMithridatic Wars、Cassius DioRoman History、PlinyNatural History)を当たり、
近代日本の毒殺事件|科学捜査が変えた真相
法中毒学の現場では、単一の検査法だけで毒物や因果を確定できないことが繰り返し指摘されています。筆者の取材メモによれば、GC‑MS、LC‑MS/MS、LC‑HRMSやLC‑QTOF‑MSといった複数手法を組み合わせ、その結果を総合的に解釈することが重視されていました。
マーシュ試験|砒素検出が変えた犯罪捜査
1836年、イギリスの化学者ジェームズ・マーシュが考案したマーシュ試験は、微量の砒素を法廷で「見える証拠」に変えた検出法でした。1830年代の英国法廷で崩れやすい沈殿が証拠になりきらなかった場面、1840年のフランスの裁判所で黒いヒ素鏡が陪審と世論を引きつけた場面、
化学兵器の歴史|マスタードガスからノビチョクまで
戦場の霧のように語られがちな化学兵器は、単に「毒ガス」と呼べるものではありません。液体やエアロゾルを含む兵器体系として、びらん剤、窒息剤、血液剤、神経剤がそれぞれ異なる作用機序をもち、1915年の塩素、1917年のマスタード、1925年のジュネーヴ議定書、1997年発効のCWC、