Poison Museum
毒と科学の歴史ポータル
毒が人類の科学・医学・社会をどう変えたか。古代の毒殺から現代医薬まで、毒物の歴史・作用機序・文化的意義を体系的に解説する教養メディア。
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最新記事
すべて見る →帝銀事件の毒は何か|遅効性の謎と青酸ニトリール
帝銀事件は、1948年1月26日に東京・帝国銀行椎名町支店で起きた戦後最大級の毒殺事件である。閉店直後、防疫班を名乗る男が「近所で集団赤痢が出た、GHQの消毒前に予防薬を飲んでほしい」と告げ、行員ら16人に薬を口にさせ、12人が命を落とした。
リシンとブルガリア傘暗殺|1mgの猛毒の正体
ブルガリア傘暗殺とは、1978年9月7日にロンドンのウォータールー橋近くで起きた、亡命作家ゲオルギ・マルコフの毒殺事件である。バス停で右の太ももに鋭い痛みを覚えたマルコフは、傘を拾い上げる男を目にし、その晩から高熱にうなされて4日後に死んだ。
ゲームの毒草は実在する|ウィッチャー・原神を科学で読む
ウィッチャーの錬金術素材に現れるWolfsbaneやCrow's eyeは、実在の有毒植物や伝承の名を借りた存在であり、ゲーム内の名前が現実のトリカブトやマチン、さらにその毒成分までつながっていると知ると、作品の見え方は一段変わります。
ナポレオンの死因|ヒ素毒殺か胃がんか毛髪が示す真相
ナポレオン・ボナパルトは、1815年のワーテルロー敗北ののちセントヘレナへ流され、1821年5月5日に51歳で没した皇帝です。翌日の解剖では胃の広い範囲に潰瘍性の腫瘤と穿孔が見つかり、公式には進行胃がんとされたものの、1961年に遺髪から桁外れのヒ素が検出されると、
和歌山カレー事件とヒ素─毒物犯罪と科学捜査の進化
和歌山市園部で起きた和歌山毒物カレー事件は、1998年7月25日の地区夏祭りで提供されたカレーに亜ヒ酸(三酸化二ヒ素)が混入し、食べた67人が中毒し4人が死亡した事件です。摂取からわずか5〜10分で嘔気と嘔吐が広がり、当初は食中毒、次にシアン中毒が疑われましたが、毒物専門家の検討を経てヒ素中毒と判明しました。
シェーレグリーン 人を殺した美しい緑
シェーレグリーンは、1775年にカール・ヴィルヘルム・シェーレが亜ヒ酸銅として合成した、銅とヒ素からなる鮮烈な緑顔料である。褪せにくく、ガス灯の下でさえ妖しく映えたその色は、古い緑の装丁本を手に取った瞬間に美しさへ引き寄せられ、次の瞬間には「これはヒ素かもしれない」と手を止めさせるほど、
毒見役と銀の食器|毒殺を防いだ知恵の歴史
毒見役とは、権力者の食卓に先回りして毒を受け止めるために置かれた役職であり、銀の食器は、毒の有無を見極めるために用いられた物質的な防御でした。歴史ドラマで毒見役が膳に箸をつけ、銀器が黒く曇る場面を目にすると、本当にそんなことが史実として通用したのか、史料と化学の両面から確かめたくなります。
キョウチクトウの毒オレアンドリン|街路樹に潜む猛毒
キョウチクトウは、インドから中近東を原産とするキョウチクトウ科の常緑樹で、戦後日本では街路樹や公園樹として広く植えられてきた植物です。夏の街路や公園で群れて咲くプロペラ状の花は目を引きますが、その全身には強心配糖体オレアンドリンが潜み、見慣れた景色と毒性の落差がこの植物の第一の特徴だといえます。
身近な毒草20種|庭と公園にひそむ有毒植物
毒草とは、庭や公園、散歩道の植え込みにまで入り込んでいる身近な有毒植物の総称である。スイセンやトリカブト、キョウチクトウのように見慣れた花ほど強い毒を秘め、白石環のような自然観察の現場では、まず生活圏のどこにそれらが潜んでいるかを確かめるところから話が始まる。